揺れた揺れた

いろいろ揺れた。福岡県西方沖地震とか言うらしいですね。
その日はもちろん福岡におり、さてもう少ししたら東京への帰路に着こうかと考えていた頃。
で、トイレで便器にすわりホッと一息の時間を過ごしていたのですよ(ぇ
トイレの外ではなにやら両親がくだらんことで言い争っているのが聞こえ、
ああ、また始まったよ・・・と、よく聞くBGMにトイレでため息をつく僕。
と、その時、いきなり僕の体が強い力で前に傾いた。
お!っと力をこめた時、次は後ろに傾く。横の手すりを持たないと体を支えられない。座っているのに。
「やば、こりゃ震度5とかのレベルじゃないぞ!そしてこのまま体勢が崩れると、
ボクの(自粛)があたり一面にぶちま(ry」
などと心の中で意外と冷静に事態を受け止めつつ、外で聞こえる陶器の割れる音と母親の悲鳴、
父親の母親に対する机の下に隠れろという声を聞き、
僕自身もトイレのドアをあけ「大丈夫?」などと声をかけ、20〜30秒続いた揺れが収まるのをまつ。
収まるとすぐに、トイレからでた僕が「テレビつけて!」と、キャスターつきの台に乗っていたおかげか、
倒れることがなかったテレビをつけさせる。NHKですぐに速報のニュースが始まっていた。
玄界灘西方沖が震源地で、マグニチュード7.0、震源は浅いという報道。
どうりで強いわけだ・・・
震度は福岡市で6弱という表示。やっぱりか・・・と思いながらみていると、細かな震度の表示が。
実際6弱だったのは、福岡市の東区と中央区、福岡県前原市佐賀県みやき町
自分の住んでいるのは福岡市の早良区。ここは震度5強ということであったが、
ちょっと歩けば中央区、さらにはマンションの11階という位置だったので、
おそらく6弱並の揺れだったのではないかと思う。
しかし中央区というと、福岡市役所や大型デパートが立ち並ぶ県の中心部。3連休の真ん中であったし、
相当人がいたはず。東区はベットタウンが多い地区。北東部には山を削って作られたような地域もあり、
被害はかなりきついのでは・・・と思った。
後に天神(中央区の繁華街。市役所もここにある)の映像が映る。
ビルの窓ガラスが砕け落ちていて、中には5割くらいが落ちているところも。
天神三越の様子も映し出されていたが、高級そうな陶器が見る影もなく壊れ、店内は散々な様子。
他のデパートでも同様でしょう。
さらに、そのデパート街の近くにある警固(けご)公園の様子が映る。
デパートなどに買い物に来ていたであろう人たちが、避難してきていたようです。
都心は見た目、建物内の被害は目立つが、崩落などの致命的な被害はないようにみえました。
また震源地に近い西区の玄海島の様子が映ったが、こちらはひどい・・・
これを見て、今回の地震が普通でないことをさらに実感する。
斜面は一部で崩れ、崩壊している家もある。公園に避難している人も多数。
陸から離れた孤島だけに住民の不安も相当であるでしょう。
・・・とまあ1時間ほど一通り情報を見ていたわけなのですが、この間強い余震はなく(2程度のはあったが)、
ここで家の様子を確認してみる。
自分の部屋を見てみると、たいしたことにはなってなかった・・・と感じたのは部屋が元から汚いから(ぇ
実際は勉強机の上のガラス製の時計がおち、もりやまゆうじ榎本温子のサイン色紙が落ち、
本棚自体は被害がほぼなかったが、その上に乗せていたプリント等の資料が半分崩落。
ラジオ番組を録ったカセットテープも散乱。
ただ、ガラス等が割れたりしてはいないため、一安心といったところ。
(その原因が、部屋の汚さにあったのは内緒)
父親の部屋は、博多人形が壊れていましたね。陶器は地震には本当に弱い。
で、陶器というと・・・トイレにいて散々割れた音を聞いたため、食器棚に目がいったわけですが・・・
悲惨でしたね。5割強が使用不能。中には母親が大切にしていたティーカップや食器などもあり、
発狂している母。その大部分が棚の上段にあったもの。あと天井が高い部分の棚ですね。
グラスは天井が低くても厳しいものがありますが、その他の食器類は大切なものに関しては、
下段かつ天井の低い棚においているほうが被害は少ないでしょう。
もちろん、普段使わないものなら箱に入れてしっかり保存しておくのがベストですが。
あとは棚が簡単に開かないようにしておいたり、
フローリングの床にはカーペットなどのクッションとなるものを敷いていた方がいいでしょうね。
あと2つ重ねのタンスが倒れてましたね。ちょうど2時間ほど前に父親の頭があった位置にね。ふふふ。
今だから笑えますが、もし本当に父親の頭に倒れていたら、10kg以上はあるタンスが
父親の頭を直撃することになり、まともじゃすまなかったかと。
うちの被害はこの通り、食器類が被害にあっただけで大きな被害にはなりませんでした。
今回の地震は、専門家の予測しなかったところで起こったらしいですね。
しかし、地震ってのはそんなもんだろうなとおもうわけで。
やはり普段からなんらかの対策をしているのがベストなんでしょうね。
「喉もと過ぎれば暑さを忘れる」ことがないようにしないとね。
こんな日でも、アタック25(途中で臨時ニュースに切り替わり、攻防戦を見逃した・・・)を見たり、
ドリーム競馬を見たりする余裕がないとね!いや、被害が少なかったから出来たんでしょうが、
どんなときでも精神的に余裕を持つことは大事だと思いますよ。
部屋を片付け、帰京の予定は変更せず帰りました。空港に送ってもらう途中、
天神の様子を目の当たりにしましたが、件のデパート街の通りは車道が封鎖。
そんな中でも近くをのんきに歩いている人たちが印象的。みんな余裕だね。
玄海島自衛隊が出動するような事態になっており、この地震に関してはまだまだ余談を許さないと思います。
死者も何人か出ておりけが人も多数ということで、大きな被害にあわれた方はこれから大変でしょう。
同郷として応援します。
あ、あと、心配してメールを送ってくれた人たちには感謝です。
冗談交じりでメールを返したりしたので拍子抜けしたとは思いますが、
その程度で僕自身はすんだということでご愛嬌を。
で、帰京した僕はその後どうしたかというと・・・ふふふ・・・